缶コーヒーにまつわるエトセトラ


(1)きっかけ
 私が缶コーヒーを集めはじめたきっかけは、地方の逸品に出会ってからです。学生時代1979年(昭和54年)に山形県の面白山(おもしろやま:今のJR仙山線)スキー場に行ったときに、ちょっとさびしい中央売店にありました。その名はハイハイコーヒー。協同食品工業(山形県長井市)の製品です。まろやかで甘すぎず、当時飲料にこだわらなかった私でもその美味にいたく感銘を受けました。そこでまだかけだしの缶コーヒーを集めてみよう。どうせなら第1人者になろうと決めてしまいました。

(2)原点は牛乳のふた集め
 収集癖の片鱗は小学生時代からありました。時は1968年(昭和43年)にさかのぼります。原点は牛乳のふたです。別途ページも設置しましたが、彩り豊かでバラエティのある物を集めるのは心底楽しかったのです。最初はふたよりも公衆浴場にあった明治の牛乳ケースのびんの中味の彩りに目を奪われました。まさに小さなワンダーランドでした。父親に連れられての何日かに1回1種類づつ味をおぼえて行きました。なぜトマトジュースがしょっぱいのか理解できませんでした。23円から29円まで2円ごとに高くなる牛乳(加工乳)=全3から4段階にうすうす社会の格差を感じ取ってもいました。
 牛乳のふたはなぜか数年してデザインがシンプルになり色使いも減って(何かの規制?)、収集熱がさめてしまいました。

(3)当初缶コーヒーはその他大勢
 その後、缶飲料が普及しはじめて、デザインの気に入ったものや変り種をすこしづつ集めるようになりました。缶飲料にはあまり良い印象がありませんでした。金属くさい缶のオレンジジュースを飲んで気分が悪くなったことがあったからです。技術革新の前だったのでしょう。缶コーヒーも缶飲料その他大勢のひとつに過ぎませんでした。もうちょっと集めておきたかった70年代中期でしたが。

(4)コレクションの最古参
 所持品最古参は収集2年目の1980年に5年物つまり1975年製を発掘できたことです。静岡・伊豆白浜の海のよろづやさんの冷蔵ケースの底に半分錆びかけて(私には運良く)売れ残っていたものです。地域性の無さそうなカバヤ(岡山の有名製菓業)でした。SSCコーヒーと描かれていました。その当時ですらあれっレトロだなと直感して目に止まりました。
 こうしたケースは2度とありませんでした。山奥のよろずやさんも立派な舗装道路が通い、流通近代化(売れ残り回収の地引網?)とモータリゼーションが国内隅々まで浸透したことを痛感しました。
 逆に注目したいのははさびれつつある駅前商店街ですね。それでも売れ残っているとしても1,2年物がやっとでしょうけど製造中止ものなら即お宝ですぞ。
 
(5)嗅覚
 最初の10年(1980年代)は初めて訪れる街でもレアな缶コーヒーの納まった自販機を「嗅覚」で探し当てるというゲーム感覚でも楽しめました。出張も多く、余暇があると限られた時間で1缶でもみつけようと嗅覚をとぎすませたものですが。また友人知人からも旅先で記念缶をお土産にいただいたりしていました。当時は国道沿いの自販機には地縁のなさそうな販売者の缶コーヒーがありました。例えば栃木に近畿や九州の缶が売っていたりと楽しかったものです。流しの営業マンが1箱どーんと置いて回っていたのかなどと来し方に思いをはせたりしたものです。
 ところが後の10年(1990年代)はそういったことがなくなってしまいました。いわゆる街中は表通りも裏通りも大手の自販機ばかりに画一化されてしまいました。商売としての缶コーヒーは右肩上がりの成長産業で、参入業者の変遷(参入と撤退)は時代を反映しているようです。私の調べでは国内外346社です。参入が1社でも多いことを期待します。私の勤務する会社は小さい株式会社ですが半官半民的な建設コンサルタント会社でして、そういった営業や商売のきびしさを知りえません。収集趣味の立場であれこれ言っては申し訳ないような気持ちもありますが。

(6)構造改革?の結果
 近年は旅先でもレア缶やPB(プライベート・ブランド=自社ブランド商品)は駅から遠いお酒のディスカウントにあります。その存在を知らないと現地を車で流している程度ではほとんど出会えません。まるで大海をさまよっているようです。
 クルマ社会の深度化と商売の構造の変化がそうさせたのは明らかです。
 収集の観点からすれば、インターネット時代ならではの情報交換と、缶コーヒーの販売会社周辺の探訪(いわば本丸直撃)ということをしなければレア自販機には「全く」といっていいほど出会えなくなりました。

(7)期待の新潮流とは
 1994年頃に流行った60円とかの激安自販機もすぐに顔ぶれが固定してしまい、楽しみが薄れると共に激減しました。今はそれに変わり激安ディスカウント店が増え、そのルートを狙ったような新規参入メーカーが複数登場したのはうれしい限りです。しかもそれらは実売価格が安くて、しかも味や素材に手抜きなしと私は感じます。

(8)きっかけの1缶のその後と企業の資料保存の話
 近年もメーカーの再編もありました。合併とかでなく自販機と販路と営業の合理化で、一部有名ブランドも消えました。例えばロッテ。缶コーヒー等はやめて缶飲料は果汁飲料にしぼり、販売はキリンビバレッジに乗りました。流通合理化はトラック延べ台数削減につながり地球環境にやさしいと企業イメージ向上にもなりますからね。
 冒頭の山形のハイハイコーヒーもそんな流れの中、1996年に消えました。理由は缶飲料からの撤退でした。私の感銘を受けた初代コーヒーは1987年ころのリニューアルで個性の無い味に変わってしまいました。しかし動向は気になっておりました。電話にて直接販売者に問い合わせて知りました。こういう問い合わせは私は禁じ手にはしません。そこで全ての答えは種明かしには遠いからです。小さな会社でも自販機の場所の全てを把握できませんし。
 またパンフや空き缶のサンプルなどを保存している企業がほとんど無いのですね。日本的ではないと私は思うのですが、社員有志で私的に保存しているということも聞いたことはありません。元祖を争うUCC、ポッカの2社には缶コーヒーだけのミニ資料館をぜひ創設してほしいですね。UCCは現本社近くにコーヒー全般の博物館をすでに持っておられるので最短距離だと思いますが。

(9)美味との別れと賞味期限の話
 忘れられない美味の缶コーヒーとの別れもつきものです。何度かありました。買いだめして保存してても賞味期限の2倍の2年たつと味は落ちます。ちなみに私なりの基準の賞味期限はコーヒー、コーヒー飲料は満2年、乳飲料は1年半、ブラックは1年です。ブラックほど変化が気になりますね。
 リニューアルで失速するのを見るのもつらいものです。明治乳業マイルドコーヒーです。看板で顔だと思うのに2度のリニューアルで消えたのは残念です。復活してほしいです。レシピはあるのでしょうし。

(10)夢にも出ます
 自販機と格闘する夢は見ますよ。初対面の缶コーヒーがたくさんあるのに取り出し口になぜか出てこないというような。
 夢でなくても、1度に4種も新種を収めた自販機を前にするとたのむから途中で故障しないでくれと、ちょっと小銭入れを持つ手が震えます。大ぺこ缶が途中で詰まった経験もありますからね。
 コインを食われたことも、逆に何本もごろごろ出てきたことも何度もあります。永年積み重ねればトントンですね。食われてカッカすることもないということです。

(11)予想
 収集当初はコンビニの進化などと環境面で缶がすたれて紙カートンみたいのに押されると予想しましたが、はずれましたね。うれしいには違いないのですが。もっと雑再生合金の缶だってよいのではと思います。
 また内外装も進化していますね。メモのマジックインキ類もはじいてしまう最近の外装には驚きです。一体成型の白い底のタルク缶はコレクター的には向こう30年は錆びないのではないかと予想してしまいます。


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